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ハヤブサ (プロレスラー) : ミニ英和和英辞書
ハヤブサ (プロレスラー)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ハヤブサ (プロレスラー) : ウィキペディア日本語版
ハヤブサ (プロレスラー)[ちょうおん]

ハヤブサ(本名:江崎 英治(えざき えいじ)、1968年11月29日 - 2016年3月3日)は、熊本県八代市出身の日本覆面レスラー、歌手。
== 経歴 ==

=== デビュー ===
熊本商科大学(現:熊本学園大学)出身で、大学時代は「肥後ずいき」のリングネームで学生プロレスのリングに上がっていた。1991年に大学の同期の本田雅史(現:ミスター雁之助)と共に大仁田厚が代表を務めるFMWの入団テストを受けて合格。FMWの4畳一間の寮に雁之助と同部屋で暮らし、昼間はアルバイト、夜に練習をする生活を送っていた〔「ハヤブサ 追悼号(2016年 4/5号) 週刊プロレス増刊」〕。当時より若手の中では素質がずば抜けていたと師匠の大仁田は語っている〔。
1991年5月5日、アミーゴ・ウルトラと組んでレイ・パンディータ&上野幸秀戦でデビュー。その後海外遠征に出発し、メキシコのプロレス団体WWAを中心に活動していたが、1994年4月に一時帰国して第1回スーパーJカップに出場。獣神サンダー・ライガーとの試合でインパクトを残して、トップレスラーへの足がかりをつかんだ〔。
1995年5月5日、FMW川崎球場大会において大仁田の引退試合の相手を務め、電流爆破マッチに初挑戦。その後は「新生FMW」のエースとして団体を引っ張る立場となった。同年6月、大矢剛功とのタイトルマッチに勝利し、大仁田由来のベルト・世界ブラスナックル王座を奪取するも、すぐに返上。FMWのトップ選手を集めたリーグ戦「グランドスラム」では、決勝戦に進出するも、ザ・グラジエーターに敗れ、準優勝となった。
1996年には肘がパンクしてしまい、手術のため長期離脱となるが選手不足のため短期間で強行復帰せざるを得なかった。、5月の川崎球場には田中正人と組んでメインイベントに登場したがテリー・ファンク&ミスター・ポーゴ組に敗れる。その後は、傷心のため失踪というアングルを取って、8月末までリハビリのために欠場。10月、みちのくプロレスの両国大会に参戦し、新崎人生に敗れた。12月の駒沢大会ではみちのくプロレスのザ・グレート・サスケと対戦し、勝利。しかし、この大会で大仁田が現役復帰したが、FMWはエンタメ重視の路線を取る社長の荒井昌一と、デスマッチ路線を志向する大仁田の方向性で割れることととなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハヤブサ (プロレスラー)」の詳細全文を読む




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